近郊の文化遺跡 他

 天神山古墳(てんじんやまこふん)
 厚木高校の北側に存在する直径35m(元は直径45m)の
 市内で最大の円墳です。
 ここは、未発掘ですが、5世紀築造と考えられています。
 児童公園になっているので自由に出入り可能。
 登って大きさを実感してみるのも一計。
 上からの眺望も素晴らしく、相模川なども見渡せます。
 場所は入り組んでいて、非常に分かり難いですが浄雲寺の北西隣に位置しています。

 子ノ神遺跡(ねのかみいせき)
 天神山古墳から北東300mほどの所に、子ノ神遺跡があります
 戸室小学校の建設時に発見され調査が行われました。
 調査では、縄文時代から江戸時代までの、住居跡や遺物が
 発見され、特に弥生時代・古墳時代の住居跡や出土品が多く、
 天神山古墳を作った人たちとの関連が考えられています。
 戸室小の正門内側に解説板がありますが、校内は関係者以外立ち入りが
 禁止されています。  尚、発見された珍しい家型土器などの出土品は、
 市の郷土資料館に展示されています。

 子之神社(ねのじんじゃ)
 祭神  大己貴命 ( おおなむちのみこと )
 新編相模国風土記稿には、村の鎮守。石一顆を神躰とする。
 古より小社ありしを慶長十二年(1607)に地頭・興津内記
 忠熊が再建。その後、子孫が度々修造を加えたと
 記されている。

 又、例祭は、11月15日。(現在は4月第三土曜日)

   △末社 山王社・牛頭天王社・稲荷社。
   △神楽殿
   △鐘楼(文化8年鋳造)
   △別当安楽院…明治初期廃寺
      (現在の高嶋家あたり、本尊の不動明王は
       現在、浄雲寺の位牌堂に安置されている。)
    その他、御獄社・第六天社なども記されている。

 境内に建立されている碑には・・・

   古来、子ノ神社は、現在地の下段にあったが大正十二年の
   関東大震災により潰滅的大被害を受けた。復旧には西方高所の
   隣接農地六五一m2を、左記四名の寄進、全七十三戸の寄付金、
   労力奉仕等により、社殿と境内の模様替えが完成した。
   茲に、農地寄進の経緯を誌し、碑を建てる。

              昭和三年(一九二八)十一月一日

               戸室***番地 小林吉太郎
               戸室***番地 霧島弥吉
               戸室***番地 安藤市太郎
               戸室***番地 安藤卯吉

                             ・・・とあります。

 浄雲寺(じょううんじ)
 龍興山と號す。宗派は、曹洞宗。
 山梨県都留市の長生寺が主寺。
 新編相模国風土記稿には、古くは真言宗で、上正院と
 號していた。
 その頃は、村の辰巳の方にあり、元和9年(1623年・徳川
 家光が3代将軍に就任した年)に今の地に再建され、その時に改宗されたと
 記されている。
 境内に白山・稲荷・秋葉の合社や地蔵堂がある。

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