祭神 大己貴命 ( おおなむちのみこと )
新編相模国風土記稿には、村の鎮守。石一顆を神躰とする。
古より小社ありしを慶長十二年(1607)に地頭・興津内記
忠熊が再建。その後、子孫が度々修造を加えたと
記されている。
又、例祭は、11月15日。(現在は4月第三土曜日)
△末社 山王社・牛頭天王社・稲荷社。
△神楽殿
△鐘楼(文化8年鋳造)
△別当安楽院…明治初期廃寺
(現在の高嶋家あたり、本尊の不動明王は 現在、浄雲寺の位牌堂に安置されている。)
その他、御獄社・第六天社なども記されている。
境内に建立されている碑には・・・
古来、子ノ神社は、現在地の下段にあったが大正十二年の
関東大震災により潰滅的大被害を受けた。復旧には西方高所の
隣接農地六五一m2を、左記四名の寄進、全七十三戸の寄付金、
労力奉仕等により、社殿と境内の模様替えが完成した。
茲に、農地寄進の経緯を誌し、碑を建てる。
昭和三年(一九二八)十一月一日
戸室***番地 小林吉太郎
戸室***番地 霧島弥吉
戸室***番地 安藤市太郎
戸室***番地 安藤卯吉
・・・とあります。 |